福岡高等裁判所 昭和42年(う)667号 判決 1967年12月18日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五〇〇〇円に処する。
右罰金を完納できないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
所論は、要するに、原判決は被告人の発射した弾丸がメスキジに命中してこれを現実に捕獲したと認定しているのか、命中はしていないが捕獲したことになるというのか明確でないが、もし前者であるとすると右メスキジを撃ち落したのが池田昭雄であること明白であるから、原判決は事実を誤認したものであり、もし後者であるとすると、原判決の「捕獲」の解釈は不当な拡張解釈で罪刑法定主義にも反するものであり、原判決に法令適用の誤りがあつて判決に影響を及ぼすことが明らかでありいずれにしても原判決は破棄を免れないというのである。
よつて、審按するのに、原判決の挙示引用にかかる各証拠を総合すると、(1)被告人は福岡市在住の獲友である桑原康行、中村儀孝と徳山方面で狩猟しようと話し合い、昭和四二年一〇月三一日右三名は徳山市在住の猟友池田昭雄方に宿泊し、同人に案内役を依頼し同人はこれを承諾して同市在住の猟友長谷和夫、山下竜治らも誘い、翌一一月一日は被告人、池田の組と桑原、山下らの組の二組に分れ一一月二日及び三日は被告人、池田、桑原の組とその余の組に分れて、いずれも通称城南地区で狩猟をしたが、その間同じ組の者は常に一しよに行動して猟犬を鳥が立ちそうなところではなし、鳥を追い出し、鳥が飛び立つと一斉に猟銃を発射するという方法で狩猟したこと(2)一一月二日午後三時頃池田、被告人、桑原の順で山裾の荒地のあたりを歩いていると犬が臭いをかぎつけたようだつたのでその跡を追い、三名が射撃の用意をするとかやの中からメスキジが一羽飛び立ち、三名はいずれもメスキジあるいはメスキジではあるまいかと思いながら右キジに向つて一斉に発射し、三名のうち誰かの発射した弾丸が右キジに命中して被告人の猟犬が右命中により落下したキジをくわえて来たこと(3)池田は「自分の二発目でキジが落ちた」と言い、被告人は桑原に「処分はあとでどうにもなるから一応車の中にいれておく方がよい」と言うので桑原が右キジを池田の自動車の中にいれておいたこと(4)一一月三日午後池田は中村に対し福岡から来た人に分配するようにと言つて、それまで池田方に保管していた一日と二日の捕獲分オスキジ五羽、メスキジ五羽を交付したことを認めるのに十分であり、被告人の原審公判廷における供述記載中「メスキジであると分つたのでわざと狙いを外して発砲した」との部分は被告人の捜査官に対する各供述調査の記載にてらしても、又狙いを外す位ならそもそも発砲しなければよいと常識上考えることにてらしても信用し難い。しかし本件各証拠を十分検討しても、被告人の発射した弾丸が右(2)のメスキジに命中したことはこれを認めるに十分な証拠はなく、むしろ池田の発射した弾丸が右メスキジに命中した可能性が強い。そうすると、原判決が所論のように被告人の発射した弾丸がメスキジに命中したものと認定したものとすれば、事実誤認の違法があるといわなければならないが、原判決の罪となるべき事実の判示方法と適条末尾の括弧内の説示にてらせば、原判決はむしろ被告人がメスキジに向つて猟銃を発射した以上その行為は鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律第一条ノ四第三項にいわゆる「捕獲」にあたるものと解して、その弾丸が命中したか否かは犯罪の成立に必要がないものとして敢えてこの点につき判示しなかつたと考えられる。
そこで次に原判決の右「捕獲」の解釈の当否について考える。およそ刑罰法規を解釈するにあたつては、法益保護の目的、行為の性質等を検討して目的論的方法によりその法規の規範的意味を決定しなければならないが、それは罪刑法定主義の原則によりあくまでその法規に用いられた語句の可能な意味の限界をこえてはならない、これを本件についてみるに、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律第一条の四第三項は「農林大臣又ハ都道府県知事ハ狩猟鳥獣ノ保護蕃殖ノ為必要ト認ムルトキハ狩猟鳥獣ノ種類、区域、期間又ハ猟法ヲ定メ其ノ捕獲ヲ禁止又ハ制限スルコトヲ得」と規定し、これに基き農林大臣は、昭和四〇年農林省告示第一一七九号をもつて昭和四〇年一一月一日から昭和四三年一〇月三〇日までメスキジの捕獲を禁止しているので、右立法の趣旨が、メスキジを濫獲してキジの蕃殖を著るしく阻害することのないようその蕃殖を保護することにあることは明らかであり、又同法は鳥獣保護のため種々の禁止規定を設けているが、その態様をみると「捕獲」を禁止したり(同法第一条ノ四第一項、第三項、第二条、第三条、第四条、第一一条、第一五条等)、「狩猟」を禁止したり(同法第一七条、第一八条)、銃猟を禁止したり(同法第一六条)し、「捕獲」「狩猟」「銃猟」という言葉を各禁止目的に従い一応合理的に使い分けしており(ことに同法第一七条、第一八条においては同条項内において狩猟と捕獲とを区別している)、更に「捕獲」の日常的意味が「とらえること、つかまえること、いけどること、とりおさえること」であるから、これらを考え合わせると、同法第一条ノ四第三項にいわゆる「禁止狩猟鳥獣を捕獲した」というのは「同鳥獣を現実に捕捉するか、少くとも同鳥獣を容易に捕捉しうる状態において、同鳥獣が右状態においた者の実質的支配内に帰属するに至つた」ことを意味するものと解するのが相当である(最高裁昭和二九年三月四日判決、最高裁判例集八巻三号二二八頁参照)。
原判決は、「メスキジに向つて猟銃を発射した以上たとい弾丸がそれたため現実に捕獲しなかつたとしても同条項にいう捕獲したものとして同条項違反の罪が成立すると解する」と説示しているが、発射した弾丸がメスキジに命中せず従つてメスキジに実害を生ぜしめなかつた場合には前記立法趣旨にてらしても、又メスキジが弾丸を発射した者の実質的支配内に帰属するに至つたとはいい難いことからも「捕獲」したとはいえず、原判決の説示するごとく「猟銃を発射した」だけで「捕獲した」と解することは用語の普通の意義からいつて無理であり、同法の他の条項との関係でぜひそのように解さなければならないような特段の根拠も認められないから、原判決の解釈はあきらかに不当といわなければならない。もつとも、同法の前身である狩猟法第五条第六項(鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律第四条第七項)にいわゆる「捕獲」の意義につき「現実に狩猟鳥獣を捕獲する場合のみならず一般に狩猟行為をも禁止するにあるものと解する」旨判示した判決例(東京高裁昭和二九年一二月三日判決、高裁判例集第七巻第一二号一七四三頁)があるが、右は狩猟期間外に狩猟行為をした場合の「捕獲」の解釈で本件と事案を異にするばかりでなく、右類推解釈は本件に適切でないことが明らかである。
そうだとすると、被告人の発射した弾丸が本件メスキジに命中したとの証明が十分でないこと前記説示のとおりであるから、右「捕獲」の意義にてらし、「被告人が単独でメスキジを捕獲した」旨の本位的訴因は結局その証明が十分でないことに帰し、右訴因につき有罪の認定をした原判決には事実誤認ないし法令適用の誤りがあつて、右違法が判決に影響を及ぼすこと明らかであるというべきであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
しかし、原審において適法に、「被告人は桑原康行、池田昭雄と共謀の上本位訴因記載の日時場所においてメスキジ一羽を猟銃を使用して捕獲した」との予備的訴因変更がなされているので、これについて判断するのに、原判決の挙示引用にかかる各証拠を総合して認められる前記(1)ないし(4)の被告人と桑原康行、池田昭雄との関係、本件狩猟に至つた経過、狩猟方法、本件メスキジ捕獲の際の手段、方法、その際の被告人、桑原、池田の言動、右捕獲後のメスキジの処置等によると、被告人が桑原、池田と本件メスキジ捕獲の意思を相通じ、右三名において一斉に猟銃を発射する等共同して右意思実現の行為に出、うち誰かの弾丸をメスキジに命中させて落下させ三名においてこれを捕獲したことを認定するのに十分であるから右予備的訴因は優にこれを認めることができ、被告人と池田、桑原間に共謀がなかつた旨の弁護人の所論は到底採用できない。<後略>(原地政信 渕上寿 武智保之助)